- 10月12日
10/6
隣の家の門の外の道路に落花した金木犀があまりにも密に地面を埋めていて、その色の広がり方が殺人現場かとおもった。
10/7
「やらない後悔よりやる後悔」という人は後悔したことがあるのだろうか。少なくとも自分は絶対に人に話したいとは思わない「やる後悔」がいくつかあって(大体小中学生くらいのもの)、今現在も種まきとか草取りとか、あるいは殻剥きとかコロッケの成形とか、単調で時間のかかる作業をしているときにその時の記憶が襲いかかってくる。どんな質であれ、後悔はしないに越したことはないし、一方で後悔するかもしれなくても、やらねばならないときはやることもあるのだろう。
10/8
作家の日記本を読む。芥川賞作家が仕事を片付けてドラクエをプレイしていたり、大学教授が他の仕事が片付いていないのにピクミンを終わらせようとしていたり、哲学者が家族みんなのテレビをクラッシュバンディクーで占領したりしているのを読むと、不思議と安心してくる。東京でしょっちゅう友人と飲み歩いていたり、人を家に招いたり人に招かれたりしているのを読むと、なんか作家っぽいなあと思ってさみしい気持ちになる。
10/9
バーミヤンで夕食を食べる。最近は夫婦二人で食べたいものを好きなだけ頼んでも、伝票の額に怯まなくなってきた。これはきっといいことなのだと思う。いつもの国道を走って帰路につくと、交差点の角にバッティングセンターがあり、今まで一度も入ったことはなかったけれど、今日はなんとなくそういう気分だったので、Uターンをして二人でバッティングセンターに。ソフトボール経験者の妻の打席を見守った後に自分も打席へ。私は義務教育の体育の授業で恥をかくくらいには野球の類ができなかったので、マシンにコインを入れる前に、一度妻に素振りのフォームを教えてもらった。初心者はバットは短く持ち、手の間はこぶし一個分くらいを開ける。脇をしめ、バットの軌道は小さく振る。球をよく見る。言われたとおりに、ピッチングマシンの球に向けてバットを振っていくと、もちろんきもちのいい長打とはいかないものの、それなりに球が当たる当たる。体育の授業のとき、バットの握り方とか、誰も教えてくれなかったなあ。義務教育だというのに、体育教師はできるようになる人をできるようにしてくれなかった。教えてくれたらできるじゃん。ほんと。バッティングセンターはおもいのほか楽しかった。
10/10
身体全体が痛いのは、昨日のバッティングなのか昨日の仮払い機ぶんまわしなのかどちらかなのかはわからない。明日から雨が続くようだけれど、まさに今日の今、畑作業を休みたかったので午後は畑に出ないことにした。
鶏を捌く会が雨天のため延期になった。鶏は永遠に雨を願い続けるだろうか。
10/11
町内会の救護訓練に参加。応急手当の訓練用に並べられた上半身だけのマネキンに、ちゃんと髪の毛のパーツがつけられていて気になる。腕もないのに。
いつも思うのだけれど、町内会の公の集まり関係で毎回配られるペットボトルのお茶に誰も口をつけていない。今回は大谷翔平ラベルのお〜いお茶で、ラベルに書かれている俳句に情緒がまったくなかった。
10/12
突然画面に現れる「すべてに同意する」に怯む日々。
「絶望のにんにく肉まぜそば」
今日みつけたとてもいいメニュー名
スーパーで棚卸しをしている女性店員が、誰とも話していないのにコマーシャルや広報物くらいニッコニコで怖かった。

