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アーティストの徳本萌子さんから水彩画をいただいたのが一か月と半月前のこと。ふとしたきっかけでお知り合いになり、その場のノリで、お召し上がりいただいたスパイスカレーの絵を描いていただいたのだった。


「ひたちなかのジョイホンで徳本の紹介ですって言えば額縁つけてくれるので」


と教えていただいたのだけれど、どうも額縁をつけにいく重たい腰が上がらず、水彩画を描く過程で湿って歪んでしまった画用紙は、しばらく家の物置同然の学習机の上に置きっぱなしにしてしまっていた。せっかく描いていただいたのに申し訳ありませんでした。


ひたちなかのジョイフル本田の二階は趣味のフロアになっていて、眺めているのが楽しい。ガラス作家の星野さんの工房においてあった、ガラスを千度以上にして溶かす、六角形の巨大炊飯ジャーみたいな機械が店頭に普通にならんであって、あの機械はここで買えるんだという驚き。ふうん。


額装のカウンターで徳本さんに教えてもらった通りに声をかけると、淡々と額縁選びの手筈を整えてくれるお姉さん。「何色の壁に飾りますか」「この色彩感だとこのくらいの額縁のほうが…」「古民家にお住まいならこの素材がよさそうですね」こんな感じで手際よく額縁と絵を囲うマット紙を提案してくれる。絵には絵のプロがいるのと同じく、額装には額装のプロがいて、私の知らない

世界が広がっているんだなあという実感。きっと何事もそれぞれにそうなのだろう。


その場で絵を額縁に収めてもらい、今度はまた額付きの絵が学習机の上に置きっぱなしにならないよう、少し遅い時間だったけれど釘と金づちを取り出して、家の壁に絵を飾る準備をする。玄関前にスパイスカレーを飾ってみると、額縁の絵は最初からそこにいたようにそこにいて、なんだかあっけらかんとしていた。なんだか。


家に絵が飾ってあって(それも自分のために描いてくれた)、それをふとした瞬間に見つめることのできる生活はけっこうよい。額縁の中で、絵を囲って余白を埋めてくれているマット紙は、額装屋さんが額縁に絵を収める作業の過程で切り抜いてくれたのだけれど、その余りが手渡されており、そこそこのサイズ感なのだけれど特に使い道があるものではなくて、押し入れの中にとりあえず押し込んでおいてあって困っている。

作家、ミラン・クンデラ氏が亡くなったというニュースを知人経由で聞いた。冷戦時代に共産党支配のチェコからフランスに亡命した作家で、ソ連の秘密警察と関係があったとかなかったとかも言われている。享年94歳、偉大な(といわれている)作家にしては長寿を全うしたんだなあというのが正直な感想である。94年の人生は彼にとって長すぎたりはしなかっただろうか。


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 先日、久しぶりにおばあちゃんの家を訪ねた。おばあちゃんは数年前より認知症をを患っていて、訪問する度に「結婚祝いは渡したかしら」と聞いてくる。もしも私が良心を持ち合わせていない孫だったら、今ごろはオートロックの家に住めるくらいには小金持ちだっただろう。


 ほんとうに同じ話を何回もする。認知症の人にはじめて触れる私にとっては、ネットとかに転がってる認知症の人エピソードがそんなに盛っていないのかもしれないと思わされるような認知症っぷりだった。その中でも特に繰り返していたのは、20年くらい前に亡くなったおじいちゃん(おばあちゃんの夫)の話である。「ほんとうにいい人だったわ」とおばあちゃんは何度も繰り返す。認知症になってしまったら、何もかも忘れてしまい、色々が無意味になってしまうようなイメージを持っていたのだけれど、実際は大切な強い思い出だけでも生きていけるのだ。多分。


 おばあちゃんは繰り返し、最近は子どもの声が聞こえなくてさみしいと話す。おばあちゃんの家は団地で、昔は敷地内で子どもがたくさん遊んでおり、私もそのうちの1人だった。20年近く前にともだちと遊んでいた秘密基地の入り口は、明らかに新しく植えられた木で塞がれていた。あの景色はもう彼らと私の思い出にしか残っていないらしい。


 炎天下の中、ドライブついでにおじいちゃんのお墓に1人で行ってみた。お墓の所在は実家からさほど遠くはないけれど、おそらく6年ぶりくらいだろうか。この暑さからか、広い敷地には誰1人おらず、各墓石には陽に晒されておんなじ色になったペットボトルが備えてあったりなかったりする。私のおじいちゃんのお墓は恐らく誰も暫くは訪れていない。まっさらな墓石の前でぼんやり拝んでいると、なんとなく気まずくなって、急遽事務所で仏花を購入し、とりあえずお墓に備えてみた。帰りの車でこの異様な日差しだと一瞬で萎れてしまうだろうと気がつき後悔する。墓石には享年61歳と刻まれていた。私の両親はあと5年ほどでこの年齢に達するらしい。


 94年間も生きていれば、死後に持っていける思い出も多いのだろうか、それとも存外50年分くらいは繰り返しの日々で、激動になりがちな文豪の人生にしては退屈な時間も多かったのだろうか。人の寿命は分からないので、私自身はいつ死んでも問題ないように、それがあるだけで生きていけるような思い出を繰り返すことができたらいいと思う。合掌。

薬缶だって空を飛ばないとはかぎらないと聞いたことはあるが、まさか薬缶に話しかけられるなんて思ってもいない。

「あんまり見られても困ります」

艶やかに磨き上げた薬缶のボディは、蛍光灯の光を鋭角に反射する。その鋭くも鈍い光をぼんやりと眺めていたとき、薬缶は突然喋りはじめた。

 

 薬缶は河童からいただいたものである。けっこう前のことだったと思うのだが、その日は冬瓜の煮物がいい感じに仕上がったので、河童におすそわけしようと持っていったのだ。

「冬瓜じゃなくて、キュウリを煮物にしていたら、そのまま川にぶちまけてやろうと思っていたんですけどね」

人の気持ちを考えられない発言は河童だからなのだろうか、それとも河童なりの冗談なのか、どちらにせよ、河童とのコミュニケーションは戸惑うことがまだ多いのが正直なところだ。

「何かお礼をしなければ」

河童にしては律儀なのか、律儀なのが河童なのかは分からないが、家の中から引っ張り出してきたのは薬缶、油汚れや焦げつきで黒ずんでいて、薬缶というよりはアパートに長年放置された、持ち主の検討もつかない自転車のカゴのような物体だった。見事に黒ずんだ薬缶、というかそもそもなぜ薬缶なのか、ただ仕方なく薬缶を見つめていると河童は、

「薬缶を使われたことはありませんか?」

と言う。河童に気を遣わせてしまった。私は家では電気ケトルを使っている。別に何も悪いことはないのだけれど、なんとなく気まずく、どうしようもない顔でその旨を伝えると、

「人間と違って河童の家には電気が通っていませんから」

と、くしゃっとした苦い笑みを浮かべる。やはり河童とは話が噛み合わない。

 

 薬缶なんて生まれてこの方使ったことがないし、これから使うとも思えない。それでもなんとなく引き受けてしまった薬缶。置き場所がないのでとりあえず台所の出窓、換気扇の真下のところに置いておく。見事なまでに黒ずんだ薬缶は、最初からそこにいたように、古びてところどころ焦げたような錆のついた、ステンレスの台所で静かに佇んでいた。

 

 いつも通り日々の生活を暮らしていると、ふと、掃除をしたくなる瞬間がある。少しずつ溜まった洗い物とか、宅配の段ボールの残骸とか、一瞬着ただけで洗うのが勿体無くて、とりあえず翌日以降着ようと思ってそのへんにかけておいた衣服とか、自分の暮らしの怠惰さが一定を超えると、片っ端から掃除をはじめる。玄関から寝室、最後に台所まで、物品の整理から壁や床、シンクの汚れまで、まるっと綺麗にしてしまうと、ただひとつ、河童からもらった薬缶の黒ずみだけが、自分だけ居場所がないとでも言いたげに座っている。なんだか薬缶の居場所を奪ってしまったようだ。薬缶相手とはいえ、加害者の気分にはなりたくない私は、薬缶の磨き方をネットで調べて(もちろんそんなことも知らないので)、近くのホームセンターで金属磨きを購入し、レジ袋もマイバックも使わずに持って帰ってくる。なんとなくで薬缶を磨いている分にはあっさりと黒ずみは落ちていくのだけれど、それならば、とさっさと作業を進めようとすると、案外黒ずみを落とすのに時間がかかる。そんなこんなで薬缶と格闘していると、気がついたらまあなんとも艶やかな仕上がりになっていた。片付けて綺麗になった部屋と薬缶の光り方が同化したくらいで、突然薬缶は喋り出したのだった。

 

「あんまり見られても困ります」 

「あ、すみません」

薬缶が喋りかけてくるなんて、そんなわけないシチュエーションなのだけれど、急に知らないおじさんに怒鳴られると反射で謝ってしまうように、自然と謝罪のことばが出てくる。今回のことは、あとで冷静になったときに、改めて嚙み砕こう。

「薬缶って喋ることもあるんですね」

「まあ、勝手にあなたたちが喋らないと思い込んでるだけでしょうけど」

「だって今までうちにきてから、一回も喋らなかったじゃないですか」

「別に特段話したいこともありませんから」

そう言われてしまうと特にこちらから話す気もなくなってしまい、そうなると無論薬缶が新たに口を開くこともなく、しばらく薬缶を手にしたまま無言の時間が続いたけれど、その後のことはあんまり覚えていない。今現在薬缶を手にしていないので、何かしらの形で薬缶を置いたのは確かである。

 

 掃除の行き届いた部屋だったこの部屋も、日々の暮らしの積み重ねが、少しずつ部屋を汚していく。あの日以来、薬缶は使うどころか触ってすらいないので、台所の出窓から陽の光を浴びながら佇んだままである。もちろん喋ることもない。河童に返しにいこうか、でもこれ以上河童に気を遣わせるのもどうだろうか。あの日磨いて以来、薬缶には新たな黒ずみはなく、少しずつ汚れを増していく部屋の中で鈍い輝きを放っている。

岩崎良平 ブログ

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