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無題・最近の考え事

  • 執筆者の写真: 良平 岩崎
    良平 岩崎
  • 1 日前
  • 読了時間: 4分

今の自宅の門を出て左手へと数十メートル進むと、町の集会所があり、その駐車場入り口には、「原発から30km」みたいなことが書かれた看板がある。今の地域、茨城県常陸太田市北部に移住した際には、役場の方からもらった防災マップと一緒に、原発事故が起きた際の避難手引きを渡された。東海第二原発の事故が起こり、避難が必要になったとき、私が住む地域の人たちは、茨城県北部の県境を越えて、福島の方まで避難をすることになるらしい。東海第二原発は、車で小一時間程度の距離にある。国道沿いにあるので、時たま通り過ぎることもあるけれど、入口の門の近目の前には、タクシーの営業所とラーメン屋さんがあった気がする。正確なことは地図アプリでも使ってくれればわかる。


こちらに移住するまでは、原発稼働の是非については、現実的に考えて運用するのも仕方がないか、と思っていたけれど、実際原発の近くの地域に住み始めると、やはり原発はよくないかもしれないと思い始める。電気代の高騰など、少し何かを犠牲にすることになったとしても、原発の稼働無しでもどうにかみんなでやっていける方向を模索できないだろうか、と考えるようになった。エネルギー源として必要とされていることはよくわかるのだけれども。


こちらに移住して、ブラジル人の友人ができた。仕事関係で仲良くしていただいた方の結婚相手で、友人といってもかなり年上で、そんなにたくさん喋ったことがあるわけではない。大学時代に出会った、台湾の国費留学生だった彼と合わせて、私の外国籍の友人はその二人だけである。台湾の彼には、大学の近くの中華料理屋で、紹興酒の飲み方を教えてもらった。まったく連絡を取らなくなってしまったけれど、今でも私は友人だとおもっている。


近年政治活動の領野などにおいて、外国人排斥みたいな声を聞いたり、そういった言説を見たりすると、二人の友人の顔が思い浮かぶようになる。出自や性別に関わらず、この国が立法国家である限りは、誰に対しても法律は機能するべきだとはもちろん思うけれど、彼らのように、ここにいることに何も問題がない人たちが、不当な理由で日々おびえながら暮らさなければならなくなるのは、とても正しい行動とは言えないと考えている。経済や治安の悪化で不安な人たちの気持ちも想像はできるけれども。偶々知り合ったこの二人の顔を思い浮かべることがなければ、私自身がこういった問題にどういった意見をもっていたのかは、わからない。


昨年の夏ごろより猫を飼い始めた。妻が飼いたいと言っていたので、私は猫のこともよくわからずに飼い始めたのだけれど、自分の家で飼い始めてはじめてわかることがたくさんあった。猫は犬と違って、躾という概念が通用しない。ご飯をあげようとすると、座って待つということが一切なく、ご飯をお皿に盛っている間に顔を突っ込んでくる。朝、窓の外の空が明るくなり始めると、枕元でニャアニャアと鳴きはじめ、顔の上とかに乗ってくるので、睡眠の質がかなり下がった。こればっかりは本当に困っている。この言葉に含みや他意はなく、困っている。猫のトイレ周りはかなり臭うが、体臭はほとんど気にならない。もともと私が動物があまり好きではないのもあったので、この猫は憎たらしい部分も多々あるが、それでもちゃんと彼のことを可愛いな、と思っているので、そう思えた部分にはとても安心している。


実家では犬を飼っていたので、犬というものについてはある程度知っていたけれど、猫のことは、猫を飼い始めてから少しずつ知ることになった。猫を飼う人生と飼わない人生、どちらの方がいいかは、今のところまだ分からないし、今後も分かることはないかもしれないけれど、猫を飼い始めるまでは、猫は飼わなくていいと思っていた。今月は、近隣の物件への引っ越しを控えている。引っ越し先は、これから住み続けるには手直しが必要な古民家なので、リフォームを仕事にしている友人の力を借りて、家の直し方を教わりながら、少しずつ建物を整備していく予定。家のこと、建築のこと、DIYのことも、今は何も知らないけれど、これから少しずつ知ることになるのだろう。

 
 
 

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